なかよくけんか

漫画と漫画じゃない

敗者

わたしは長らく、川崎市のある街に住んでいる。幼稚園児になる前に引っ越してきたから、15年以上。落ち着いた町で、スーパーとファーストフード店とコンビニくらいしかないけど、住みやすい。


家の近くに、コジマという家電量販店ができた。わたしが小学校低学年くらいの頃だろうか。なかなかデカイ3階立ての建物で、こじんまりしたこの街からしたら、かなり存在感があった。




わたしは小学生、そして中学生のあいだ、毎朝コジマの前を通って通学した。とくになにを思うでもなく、ただその前をとおって、毎日登下校していた。


頻度こそ少ないけど来店する機会もあった。お店においてあるアップライトピアノとか電子ピアノを無意味に試奏しにきたり(いま考えるとそこそこ迷惑だな)、イヤホンを買いかえる時はいつもコジマだし、携帯ショップも入ってるから機種変のときはスマホ片手に行くし、パソコンを見にいったりもしていた。



つまりこどもの時から現在にいたるまで、なんだかんだでお世話になっている。

コジマ、この街に来てくれてホントありがとな、とかはわざわざ思わない。なんとなく、あるのが当たり前、というかんじだった。








わたしが高校3年生くらいのときだろうか。
帰宅中、ふと顔をあげた。
そのとき目に入ったコジマの看板は、いつもと違った。









f:id:nakayoku_kenka:20160130180654j:plain









コジマ×ビッグカメラ




そう書き換えられている。
いや、なにそれ、聞いてないけど、と思った。

すぐに色んな文字が頭をよぎった。買収、合併、大会社、小会社、弱肉強食、戦争、サバイバル、生存競争、勝者、敗者、ampm、、、わたしは冷や汗をかいた。






そして思った。コジマは負けたんじゃないか、と。


コジマはビッグカメラに負けた。そうじゃなきゃこんなことにはならないじゃないか。なんだよコジマ×ビッグカメラって。聞いてない。聞いてなさすぎる。わたしが小学生のときから目にしていた「コジマ」の三文字の看板は外された。はずされて、かわりに、ビッグカメラの文字が、其処此処に書かれていた。買収とか、合併とか、それがどういうことなのか、具体的に知っているわけではない。わたしは、なんとなくこの世の終わりのような気分になってしまったけど、実情は私が思っているより穏便なものかもしれない。そうかもしれない。でもでも、、



それでもわたしはその時直感したのだ、コジマは負けたのだと。
ああ負けてしまったのかと思った。

ビッグカメラより、せめてもの大きめな文字でコジマと書いてあるのが、わたしには敗者のなけなしのプライドに思えてならなかった。



そのコジマの涙を誘う抵抗の下に、「ビッグカメラのポイントカードがそ・の・ま・ま使えます!」なんて無慈悲に書いてあるのが、悲しくてしょうがない。勝者はいつも敗者より、当たり前につよいのだ。そして力量の差をまざまざと見せつけてくるのだ。ああ、とにかくかなしい。いつもそこにあった、当たり前のコジマが、いま、様子を変えている。コジマの背後でビッグカメラが、腕を組んでわらっている。SMAPのあの会見のうしろに、大きな圧力があるのを私たちが見出したように。この街は終わった。わたしは思い詰めた。


真っ赤に塗りつぶされたあの看板は、戦のあとのコジマの血の色だ。目につくようにあんなに高々と掲げて、キリストの十字架だ。磔だ。わたしは今もまた、大学からの帰り道でその前を通って、いつもいつもコジマの敗北を、目の当たりにするのだ。

広告を非表示にする