なかよくけんか

漫画と漫画じゃない

出る杭は打たれる

# 個性的なブスが嫌い という衝撃的なタグを見かけた。かわいい女の子のSNS上で。わたしは絶句した。それは、そんなことは、まさか、もう終わりだと思った。今わたしはこの世で一番残酷な言葉を目撃している、そう確信して、眠れない深夜5時を迎えた。



そんな、嫌いだなんて切り捨てられて、個性に走ることすら禁じられたブスは、じゃあ、どこに向かえばいいと言うんだろう。個性は、美醜に左右されることなく最短ルートで身につけられる、若しくは元々備わっている、人それぞれの価値じゃないか。それを、それを深めることを醜いと、よりによって美人に班を押されるなんて、もう絶望じゃないか。出る杭は打たれるならぬ、出るブスは打たれるだ。ああ断崖絶壁。断崖絶壁、いや、崖があるならもうとっくに落下してる、今やもう海底にどっぷり、とっくに還らぬひとだ、







まてよ、個性的なブスが嫌いということは、個性的じゃないブスは好き、ということなんだろうか。
いや、そんな都合のいいこともないだろう。個性的なブスが嫌いと言ってのける人は、個性的じゃないブスもそれはそれで軽視してそうじゃないか。なんとなくだけど。


というか、個性的とひとことでいっても、いろんな個性がある。それらが悪く作用している人達に対して嫌いだと、彼女達は言うのだろうか。個性が悪く作用する、それは、俗にいう「いたいたしい」人間のことだろうか。

たとえば一時期流行った「あの子のほうがかわいいから 私と別れたの?いいよ 私も 彼氏つくる」的な自撮りとか、すっぴん→メイクの詳細なビフォーアフター画像とか、そういう"勘違い系"を指すのか。
それともポエマー系?????サブカル??ジャニオタ?アニオタ?ゲーオタ?腐女子?もしや、すべての個性をさして、すべてを包括して、あらゆる個性的なブスが嫌いだと、そういうのだろうか。徹底的だ、残酷なまでに徹底してる。









わからない。何がわからないのかというと、ブスは、美人に、個性をもってして、勝つことはできないのかということだ。

個性は名の通り個々の性質で、ひとりひとりのオンリーワンだ。外見がうつくしいとか、そうでないとか、関係ない。自分だけの、かけがえのなさだ。それを磨くことでなら、質のよいものへと深めていくのなら、美人相手にも戦えるんじゃないのか。


化粧で女は変わる。とはいえある程度は、先天的な目鼻立ちなんかは、どうにもならない。だから個性は希望なんじゃないのか。ひとが輝くとき、そのかがやきは美醜じゃなくて、内面にあると思いたい。それなのに、個性すら封じられたら、バッサリ切り捨てられたら、もうどうしろと言うのだろう。




絶望だ、美人は遥か高みから、タグ付けという至ってカジュアルな仕方でもってブスの退路を断つ。その様は鮮やかですらある。美人は、個性的であろうとなかろうと美人なのだ。ゆえに無敵で、だからこそ、個性なんぞに走る羽目になった哀れなブスが、滑稽に見えて仕方ないというのだろうか。こんな問題に、まさか就活解禁初日に直面するとは思わなかった。だめだ、このまま自己分析なんてしたら、沈んでしまう危険だ、なんせいまは深夜5時。崖を落下して、海のそこに沈んでいくこんな深夜5時が、はやく終わればいい、私は回復の朝を待つ。

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