なかよくけんか

漫画と漫画じゃない

卒業

「さとうさんって、とっても話しやすいよねー。」ゼミの同期の男の子たちからそう指摘され、「まじで?ちょうありがとー」と笑顔で軽やかに返答しつつも、ほんとうのわたしは、しずかに、誰よりも緊張していた。









昨日、わたしは大学を卒業した。
朝から卒業式があって、式典に出席したり、晴れ着の友人と写真を撮り合ったあと、教室に移動した。卒業証書を受け取るためだ。そこにはゼミの教授と、同期の四年生があつまっていた。



ゼミについて振り返ると、わたしはふつうに授業に出席こそしていたものの劣等生で、哲学専攻だけど哲学なんてよくわからない。ていうか活字にも疎い。本すらろくに読まなかったからだ。「大学ではなにを勉強してたの?」「哲学専攻でした…」「え!?なんかすごそう。マニアックだね!どういう哲学者が好きなの?」という会話になっても、「いやー適当にやってたんで細かいことよくわかんないですね。卒論も少女漫画について書かせてもらったくらい、めちゃ劣等生なんですよ」と返答して相手を困らせてしまう。もうしわけない!もうしわけないけど、その話題で盛り上げることは、わたしにはいまのとこできないんです!勉強してこなかったから!




こんなありさまだから、同期と哲学の話で盛り上がることもできず、ただでさえ途中からゼミに入っているから、なかなかまわりと打ち解けられなかった。けれど、そんなわたしにも皆と仲良くなれる機会が数回あった。それは飲み会だ。

わたしはお酒を飲むとゲラゲラと愉しくなれるから、その勢いでみんなに絡んで下品なことをあっけらかんと言って、親しみやすさをアピールしてむりやり打ち解けた。哲学のはなしができないからかわりに恋愛のはなしを召喚して、みんなのリア充エピソードおよび非リアエピソードおよび童貞エピソードを引き出して、とにかくいっぱいわらった。わらって、わらって、なんとか多少打ち解けた、と思う。













だから、卒業証書を貰ってみんなでだらだらしているときに「さとうさんって、とっても話しやすいよねー」と褒めてもらったとき、わたしは(あーそりゃそうか。)って心のなかで呟いていた。だって、みんなと手っ取り早く打ち解けるためにはお酒飲みながら恋話(っていうか下ネタ)で盛り上げるのが最適だとおもってわざわざフランクに振舞っていたわけだし、その結果、この子話しやすい人間だなって解釈されたのは、とうぜんだよねー。





でもわたし、べつに話しやすいような人間じゃない、気がする。ノリが悪いときも全然あるし、寡黙なときもあるし、ひとのはなしなんて聞いてらんねーよってときもある。飲み会のときは打算で親しみやすく振舞ってただけで、自分のことこんなにべらべら喋っていいのかなあって内心ヒヤヒヤしてた。でも止めたら白けるからやり抜いて、ほんとうはこころのなか「大丈夫かな」「引かれてないかな」でいっぱいだった。ひといちばい、緊張してた。そもそも、本来みんなの共通の話題であるところの哲学トークで盛り上がれないっていう負い目から、はずかしいのと、すこしいたたまれないのとで、「はあ。なんだかなあ」ってちょっとだけ空虚だった。かといってあの時の笑顔が作り笑いだったというわけでもなく、つまり、真実と真実じゃない打算がまざっていて、なんだか心がザワザワしてくる。


こうやって、集団でいるとき自分にふさわしい役回りを模索してピエロのようになってしまうのって、とても虚しい。「話しやすい」なんて高評価をわたしは無事に獲得できたのに、不思議と心は満たされない。むしろ肯定されると、そういうむなしさって膨らんでいく。しまいには、いっぱい笑っていたわたしごと嘘だったんじゃないかって、自覚なかったけど作り笑いしてたのかもなんて、ぜんぶわからなくなってきてこわい。昨日わたしは、大学を卒業した。4月からは社会人になる。会社に入って、あたらしく知り合った人達のなかで、わたしはまた自分の役回りを模索して、ときに本来の自分を見失うのかな?卒業はひとつの区切りというけど、ここからあたらしい自分が始まるなんてことはなくて、よくわからない自分が、よくわからないまま、季節だけ変わってまた生きていくんだなって予感がする。

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